テン年代の新しいサブカルチャー Vaporwaveとは何か?
2010年以降、インターネット・アンダーグラウンドシーンに現れた新しい音楽ジャンルであるVaporwave。CDショップのような既存のディストリビューションネットワークを回避して伝搬するこのサブカルチャーついては、一部の音楽好きを除いては未だ知られることが多くないのではないだろうか。「Vapor(蒸気)」のように実態を把握しがたいこのムーブメントについて、本記事では5つのポイントから紹介してみたいと思う。
1.源流
Vaporwaveは2011年頃に、Turntable.fmのようなインターネット上のコミュニティサイトから生まれた。2013年になると、類似のコミュニティサイトである BandcampやSoundCloud上の多くの匿名アカウントによってこのムーヴメントは広がりを見せた。彼らの音楽性に共通していたのは、第一に、80年代後半から90年代ごろのスムースジャズやラウンジミュージック、さらにはミューザクをサンプリングソースとしていることである。ミューザクとはサウスカロライナ州フォートミルの会社であり、彼らは小売店等でBGMとして使用される音楽を配給している。第二に、既存のディストリビューションネットワークを回避するDIY的側面、アプロプリエーション、ローテク、ローレゾ感といったパンクとの類似性である。そして第三に、高度資本主義社会における消費文化とデジタル文化、そして80年代ヤッピー文化に対するアンビヴァレントな自意識である。
2.代表的アーティスト
①James Ferraro
James Ferraroはニューヨーク・ブロンクス生まれの音楽プロデューサーであり、Vaporwaveの起源と言われている。とりわけこの観点から注目すべき作品は、2011年のFar Side Virtualである。
Far Side Virtualはデジタル音源とヴァイナル音源でHippos in Tanksというレーベルから発売された。ショッピングモールや食料品店向けのBGMとして作曲された音源、レトロなコンピューター機器で用いられたサウンド、さらにはスカイプのログイン音やウィンドウズのシャットダウン音をサンプリングソースとしながら、本作は都市生活におけるキッチュ感覚とディストピア的不安感を両立させた一種のサウンドスケープとなっている。
FerraroはFar Side Virtualをガレージバンド*1を用いて作曲しており、このことからもVaporwaveへの参入障壁の低さがうかがえる。
またFar Side Virtualのジャケットには、ipadに投影された低解像度のグーグルストリートビュー越しに見られる町の風景が広がっている。このような現実とヴァーチャルが反転するモチーフの採用は、ジャン・ボードリアールのシミュレーション論を思い出させる。ボードリアールとはフランスの思想家で、『消費社会の神話と構造』(La Société de Consommation 1970)は現代思想に大きな影響を与え、ポストモダンの代表的な思想家とされる。こういうと一見80年代の流行おくれの「ポストモダン」のようにも見えるが、もはや80年代へのノスタルジーを感じることのない若い世代のデジタル・消費社会的感性が、80年代的「ポストモダン論」と意外なところで共鳴したといえる。このようなアナクロニスム的な美学は、Vaporwaveムーブメントに共通する美学であると言えるだろう。実際、Ferraroは次の記事の中でボードリアールに言及している。
さらに、音楽ライターの Adam Harperは、思弁的実在論との関係から近年言及されることも多いNick Landの accelerationismとの関係からも、Vaporwaveムーブメントについて考えている。(Adam Harperの言及へのリンクは最下段にアリ)。
② Vektroid
Vektroidはオレゴン州ポートランドを本拠地に置くミュージシャンである。Macintosh Plus, New Dreams Ltd, PrismCorp Virtual Enterprises, Laserdisc Visions, 情報デスクVIRTUALなどの多くの名前を持つ。
彼女(彼?)*2の作品のなかでとりわけ興味深い点は日本語の使用である。彼女の代表作の一つでもあるMacintosh Plus名義での『フローラルの専門店』は、 Beer on the Rugというレーベルからリリースされた。このアルバムは全ての曲名が日本語で(しかしながら意味不明な)でつけられている。
サウンド面での特徴は、Chopped and screwedと呼ばれる手法の多用である。この技法は1990年代のヒューストンのヒップホップシーンに由来する。screwedとはサンプリング元の楽曲のテンポをBPM70~60ぐらいまでへと極端に下げることで、音が「ねじれて(=Screw)」聞こえるようにすることを意味する。レコードの回転速度を落とし間延びさせることにより陶酔感を生み出すのだ。DJscrewがこの技法のパイオニアである。『フローラルの専門店』ではこの手法がヒップホップの枠を超えて、スムースジャズなどのサンプリングソースに施されている。
3.ヴィジュアル
Vaporwaveカルチャーでは、日本のアニメキャラクターや企業ロゴといった日本的イメージのパスティーシュが散見される。パスティーシュとは元来は文体模倣のことであるが、文芸批評家フレドリック・ジェイムソンによって、80年代~90年代にかけての「ポストモダン」文化あるいは高度資本主義社会文化のキーワードとされた。類似概念である「パロディ」が模倣対象に対する「皮肉」によって成立するのに対し、「パスティーシュ」ではそのような攻撃的要素が前景化することがないのが特徴である。また、90年代初頭のローテクCGといった画質の粗い映像を適当につなぎ合わせたMVなどもそのヴィジュアルの特徴である。
例えばこちらもVaporwaveを代表するアーティストであるInternet clubのアルバムジャケットを見てみると、レトロ未来的なアートワークが多くみられる。
『世界から解放され』という作品のアートワーク(というかパスティーシュ)。
4.派生ジャンル
Vaporwaveには既に派生ジャンルが存在している。
①Seapunk
こちらは消費社会のイメージよりも海洋のイメージが中心となる。しかしChopped and screwedであったり、90年代初頭のCGへの偏愛という点についてはVaporwaveに非常に近い。代表的アーティストはUltra demon。
②Witch house
こちらはThe Blair Witch ProjectやTwinpeeksのようなオカルト的なイメージが特徴。
5.まとめ
音楽ライターの野田努はVaporwaveについて次のように述べている。「PCは、現代的な道具であると同時に道具以上の幻想をふくらませる。それがゆえに良識的な大人からは害毒のひとつとも見られている。とくに近年は、インターネット、SNSの中毒性、つながりの強迫観念、依存性の精神的なリスクを指摘する声も少なくない。他方では、PCには精神的にまったく醒めながら、それを玩具として遊んでいる連中もいる。チル、クラウド、ヴェイパー......は後者にいる。マス・プロダクト、マス・セールをポップだと信じ込んでいる人には彼らの音楽は反ポップだが、俗物(ゴミ)を無邪気な遊びにしてしまうことをポップとするならこれは今日的なポップである」。
ヴェイパーウェイヴの非‐作品性は音楽の終焉ともいうべき時点に立っているが、この終焉がヴェイパーウェイヴにとっては重大な問題に映らないということが、彼らの美学を支えている。彼らはこの運動が短命であることを自覚しているが、同時にそれが運動となり、歴史に刻まれること自体に意味を見出さないという部分も重要な側面ではないだろうか。